彼と一緒に過ごしたクリスマス
2013年11月からつきあって丸八年が経ちました。
20代の頃は、とにかく周りが結婚ベビーラッシュで、取り残されてしまう感じが強くて焦っていた。
その気持が楽になったのは、彼がずっと話をきいていてくれていたからだ。
人生について、よく相談していたと覚えている。
幸い、私は子供が苦手だ。
どうしても可愛いと思えない。
母性がある女性はそれは才能なので大事にすべきだと思う。
それくらい子供が苦手、というか煩わしい、というのが勝ってしまう。
姪っ子は素直に可愛いと思えるんですけどね。
私が面倒をみるわけではないからだ、と思う。
姪っ子に対する私の気持ちは、どこか孫をみている気持ちに近い。
そう、別に子供をもたない人生について、素直に肯定できるようになったのも、30代になってからだと思う。
子供を育てるにはそれなりのお金が必要だ。
もし、子供を産むのであれば、家庭にお金がなくてはならない。
だから子供を求めるのであれば、私は別の人を選ばなければならなかった。
婚活アプリに登録し、何人かとやりとりし、結局、でも、彼の隣が一番心地よかったことに気づいて。
私の中で、「結婚というものがしたいだけなのか」「子供がほしいのか」「人生のパートナーがほしいのか」という質問をよくよく考えた。
結果。
結婚がしたかったのは周りから取り残されてしまうから。
子供を持たない女性は、人間として認知されない気がするから。
人生のパートナーが欲しかったのは、この先、長い人生を生きる時に、自分の信頼できる人間のそばにいたかった。
と思った。
別に結婚がしたいわけではない。
子供は特に欲しくはない。
ただ信頼できる好きな人のそばがいい。
それで彼と寄りを戻した。
親の反対と死と同棲
彼のことが親にバレたとき、母の怒りは酷かった。
もともとヒステリックな性格なんだけど、それがまあ、DVだよね、いわゆる。
それでも水面下で彼とやりとりはしていて、彼の家に泊まりに行ったりして。
スマホで撮った写真を印刷して飾っていたら、勝手に部屋に入った母親が発見して激怒ってわけ。
だから彼がある程度の稼げるようになるか、親が死ぬまでは、きっと同棲なんて無理だろうって思っていた。
それは来るかもしれないし来ないかもしれない、「いつか」だった。
それでも私が眠りに落ちるまで毎晩電話してくれたり、家事、食事、お風呂、トイレ以外の時間をずっとスカイプのテレビ電話でつなぎながら一緒にゲームしたりおしゃべりしたりしていて、
どこでもドアが欲しいね、なんて話たり。
同棲する、こっちにおいでよ、なんて話は何年も前から話は出ていたのだけど、母が生きている限り、無理だと思っていた。
妹みたいに勝手に出ていけばいい話なんだけど、いいこの私は、あの家に首輪でつながれているイメージで動けなかった。
それが母が突然亡くなった。
そのタイミングで出ていってしまえばもっと一緒にいられたのだけど、母を亡くしたあとの父の弱った姿に、さすがに放っておけなかった。
いいひとぶって、とか偽善ぶってとか幻聴にいわれるんだけど、親と子って難しいと思うんだよなあ。
実際父は、母が亡くなって一年以内に、大型バイクの自爆事故で首の骨を折る大怪我をしたし。
それが去年のクリスマス、父に彼女ができた。
それでなんか私は肩の荷が降りた気がした。
もう、父も大丈夫かな。
私は私の幸せのために動いていいのかな、って。
もともと彼とは去年、喧嘩しながらも、十月には職場に仕事を辞めることを上司に報告していた。
でも父にはなかなか言えなかった。
結局、同棲のことを父に言えたのは年が明けて、今年になってからだ。
仕事を辞めるひと月前とかじゃなかったかな(職場かよ)
父に言うのはすごく怖かった。
気に入らなければとりあげる。
そういうしつけを特に母からずっとされていたから、言うのは怖かった。
大切なものをあきらめてなくてはならなくなるのか、怖かった。
ずっと理不尽な否定をされ続けると、人間は抵抗をやめる。
無駄なエネルギーだからだ。
そこから抜け出すのは、とても難しい。
あの家を出るのは、出られるとは私は思っていなかった。
義理の両親のこと
彼の家族はあったかい。
それは人間としてのあたたかさだ。
優しさともいうかもしれない。
やっかいな精神病持ちの私を受け入れてくれた。
もちろん、彼がいてこそなんだけど、特に義理の母のサポートがとても手厚くて、たびたび申し訳なくなる。
なんかこういうことを書くと、幻聴にやっぱり「いいひとぶって、いいこぶって、偽善ぶって」って言われるんだけどね。
そう思うのはいけないことなのか? とたまに疑問に思う。
いいひとになるのは悪いことなのか。
いいこぶるのは悪いことなのか。
偽善者だったら悪いのか。
それを考えだしたら哲学になってしまってよくわからなくなってしまった。
ただ、そう素直に思える環境にいられるのは、とてもありがたいことだとは思う。
家族四人でクリスマス
そもそもそんなわけで、彼と一緒にクリスマスを過ごすのが初めてだった。
祝日ではない上、もちろん連休でもないから、遠距離のときは仕事の都合もあって、クリスマスには会ったことがない。
一日一緒にいられて、とても嬉しかった。
ケンタッキーもピザもケーキもおいしかったし。
彼には感謝だ。
フルタイムで働くようになってからずっとそばで支えてくれていることに。
彼にそういうと、「理解できない」って言われるんですけどね。
まあ、いいや。
では。
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