過去の写真を見て、思い出すこと
GoogleフォトにUPされている写真を過去に遡ってみていた。
こっちに引っ越してくる前や、母が亡くなる前の時期や、今年中学生になった姪っ子が幼稚園のときの写真などが出てきて、思わずふっと笑ってしまった。
こっちに来る前は事務職の正社員で働いていたのだけど、そのときは毎日お弁当を作っていたり、コンビニで買ったりしていた。
で、ダイエットの記録もかねて、毎回食事を写真に撮っていたのだけど、まあ、なんていうか、圧倒的に食事量が少ない。
お菓子もそんなには食べてなかったから、こっちにきて、確実においしいもの食べまくっていることに驚いた。
中にはこれは炭水化物しかとってないーというような酷い食事もあって、思わず自分のことながら笑ってしまった。

いつかの茄子天そばだ。
そば屋さんの天ぷらってなんであんなにさくっとしていておいしいのだろう、といつも不思議に思う。
まあ、話が逸れたが、庭の写真や、近所を散歩したときの菜の花の土手の写真とかもあって、懐かしさもありつつ、自分の部屋を見ても別になんか、こんな部屋に住んでたんだっけ、みたいな、どこか他人事な自分がいた。
亡くなった愛犬もいて、なんかぼーっとしてしまって。
帰ってももういないのだけど、どこかまだ生きているような、そんな感覚に陥った。
写真に映るのが嫌いだった
写真を撮られるのが嫌いだった。
とりわけ高校のときにそれが顕著で、高校時代の写真は特に少ない。
反抗期だったのだと思う。
友達とプリクラは撮りに行っていたけど、家族と撮った写真は少ない。
(記憶にある限りでは一枚もないんじゃないかな)
でも今日、過去の写真を振り返ってみて、データーでなら残しておくのはなんか楽しいかも、と思った。
過去の家族の愛というとなんか大層な理由になっていしまうのだけど、生きてきた証というか。
思い出は力になるというけど、まさにパワーをもらった気がした。
ちなみに彼のダイエットの記録の写真も残っていて、その頃に比べたらずいぶんスタイルが良くなったな、と思う。
かっこよくなったというと、彼は機嫌を悪くするんだけど、でも本当にそう思う。
まあ、私は太っている彼が好きだから、あんまり痩せてほしくないんだけど、現状かっこよくなっていて、惚れ直したりもしているから、痩せても好きなんじゃないかな。
私も痩せている時の写真が出てきて(当時49kgぐらい)、ああ、この体型に戻りたいと思った。
彼とつきあい始めたときもこのくらいだったなあ。
まあ、当時は痩せていたとは言え、筋肉が全然なくて、病人みたいにがりがりだったから、
筋肉もついて52kgくらいがちょうどいいと思っている。
とはいってもあと10kgは痩せないといけないんだけどさ。
そんな感じ
たまには過去の感傷に浸ってもいいよねってわけで。
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